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NY 私立中学校受験記(2012/4/6)

1) 始まり:2011年春

娘は夏から私立小学校5年生になる。

この学校には中学校(6年生~)はない。ということは、娘は来年に向けて
次の学校を決めなければならない。
我が家の今年の最大関心事だ。ということで、我が家もマンハッタン中学校
入学試験を体験することになった。

娘の小学校は、勉強をがりがりやらせるという学校ではないが、それなりに
有名な中学校に生徒を送り込むという話は聞いていた。
特に3年前に校長が新しくなってから、進学先は顕著に改善している。
親の期待値も上がっているに違いないし、学校からの進路相談もしっかり
しているに違いない。

一方、我が家は、アメリカの教育・お受験事情には全く疎い。
日本の学校なら、この学校は、進学校とか、お嬢さん学校とか、雰囲気の良い
学校とか、ある程度イメージが沸く。
しかしアメリカの学校では全くイメージがわかない。
学校が運営しているウェブが充実しているとは言っても、どの学校も大体
言っていることは同じだ・・たとえば、生徒の個性を尊重する、高い学問
レベルを維持する、芸術にも力を入れる、多様性を確保する等々・・・。
どの学校もすばらしい学校のように見えてしまう。その上、受験といっても、
一体どんな試験があるのか、そもそも何が試験範囲なのか全くわからない。
全くの手探り状態ではあったが、まずは走り出すしかなかった。


  2)2011年9月まで:とりあえず願書出願校を決めよう。

先述したが、娘の小学校は、勉強をがりがりさせるほうではない。
学校の成績表も先生からのコメントのみで、数字(5段階評価とか)では
表さない。しかしどうも学校の先生方の話しを聞いてみると、私立の学校の
共通テスト(ERBとISEE)を受けないといけないらしい。
ちなみに、娘は4年生の末(11年5月)に小学校で、ERB試験という
一斉テストを受けた(算数、英語の2教科)。

夏にはその成績を基に校長先生と面談するとのこと。
校長は中学校の進学にはすごく大きな影響を持つらしい。
ところがこの校長先生(以下A校長)は、秋(新学期)には、米国南部の
学校の校長に転任してしまうということが決まっていた。
新しい校長は決まっておらず、暫定的に校長の事務を行う人が決まっている
だけだ。かなり不安な出だしである。
A校長は、校長引継ぎなしに学校を去ることになるが、今年の生徒たちの
進路の責任を持つということで、受験生の親に対しては、夏と来年1月に
面談をするということであった。

8月半ば。夏休みではあったがA校長と面談があった。

夏の時点の校長の話: 
娘は、まじめでポジティブな生徒だし、学校での成績もいいので、
どの中学校でも大丈夫でしょう。しかし、我が家の財政状況を考えると、
学校からのFinancial Aid(財政援助)をもらう必要があるから、
できるだけ多くの中学校を受けてください。娘は共学校を気に入っている
ようだけれど、あまりそれにとらわれずいろいろな学校を訪問してみて
ください。たとえば、A,B,C…… あたりを受けてみたらどうでしょう。
(と、学校名をずらっと並べ挙げた。我々は、聞き漏らしないよう、必死でメモ書き)。

いずれの学校も我々でも名前を知っている学校であった。
私としても異存はない。ということで一応、すんなりと志望校が決まった
(10校以上もあったが…)。

5月に受けた試験(ERB)の結果は、算数はかなりよかった一方、英語が昨年
までと比較して顕著に下落してしまった。どうやら語彙力の問題らしい。
先生もこれには意外だったらしいが、まぁ冬のISEEの試験(どうやらこちらが
重要らしい)までがんばってくださいね、学校でも推薦状では娘が日本人の
ため英語にはハンディがあるかもしれない、と明確にしておきますから・・
ということであった。

我が家にとって、この英語の結果は意外というか意外でなかったというか…。
いずれにしても今後に大きな課題となってしまった。
算数は自分たち両親でも教えられるが、英語の語彙ばかりは 我々には厳し
すぎる。家庭では日本語で生活をしており、これまでも英語力については
心配だったことから、何度も先生や学校に「娘の英語に足りないところは
ないですか」、とか「チューター(家庭教師)をつけたほうがいいですか?」
と聞いていた。が、「娘の英語は十分です。」「特に準備をする必要は
ありません。」という答えばかり返ってきていた。
そのため、このような切羽詰ったときに「語彙が足りません」などといわれ
ても、時間はないし、やり方はわからないし・・それこそ途方に暮れてしまった。


3)9月以降 出願

マンハッタンの受験シーズンは、9月冒頭、レイバーデー明けに始まる。
以前は、それこそレイバーデー直後に中学校の事務局に行かないと、出願用紙
がなくなる・・などといわれていたようだが、最近は、インターネットでも
出願できるので、そういう意味では楽になった。

一方、中学校入試では、先ほどのISEEといわれる私立校の統一試験を受験する
ほか、学校毎に出願書を提出する。そして、面接、また小学校からの内申書も
重要らしい。またいくつかの学校では学校独自の筆記試験がある。
親の作文(!)や面接もある。我々は、奨学金を得る必要があるため、他人
よりも多くの中学校に出願をすることになった。

ISEE試験は、ERB(小学校で受けることができた)とは違って外部の試験会場
に行く必要があった。娘の場合、ともかく英語(語彙)が問題となる。
まぁ一朝一夕に改善するわけもないが、それでも努力しないよりはしたほうが
良いだろう・・ということで、ISEEの試験日をできる限り遅くすることにした。

中学校から設定された期限は12月3日である。このため、ISEEの試験日を
12月3日にし、それまでに英語を集中的に特訓することにした。
ちなみに、ISEEで出てくる語彙は、私が大学受験のときに経験したレベルを
はるかに上回っている。英語の読解も私では歯が立たない。日本もそうだが、
たかだか小学生が受験する試験だ・・なんて甘く見てはいけないレベルである。

ちょうどいい具合に、日本人とのハーフの知り合いの娘さんが勉強を見て
くれるという。日曜日に一時間、英語を見てもらうことにした。我々には、
全く対応できない分野なので、心強かった。

中学校の出願書はほとんどがオンラインであった。まず、名前、住所、現在の
学校など単純なものを記入した。両親の卒業している学校や会社なども聞かれ
た。ほとんどの学校で、親の卒業した学校を中学校から聞かれるのにはびっく
りした。

次に作文を書きオンラインで提出する。親が書く作文と、子供が書く作文が
ある。
親が書くものとしては、例えば、子供の長所、子供がこの学校にふさわしいと
思う理由(出願理由)、また子供に対する教育方針、があった。
子供が書くものとしては、学校ではどのような教科が好きか、とか大人に
なったら何になりたいか・・とか、学外での活動、変わったところでは、
社会が不公平と思うことは何ですか・・というのもあった。
作文は学校ごとに少しずつ質問が違うので、同じ文を使いまわす、ということ
は出来ず、いちいち別の作文を書かなければならずかなり面倒であった。


オンラインで出願書と作文をアップロードすると、中学校から「面接をいつに
しますか」とか「学校独自の試験の日程は△月×日です」・・といった連絡が
来るようになる。
その日程調整のため、何度も電話やメールでのやりとりをしたのだが、
なにぶん志望校が多かったので、大変であった。
なるべくISEEの試験日(12月3日)前には面接を入れたくなかったので、
結果、12月の後半から1月にかけて学校毎の面接が集中することになった。
小学校のクラスメートは、12月の半ばには面接が終了している人が大部分で、
クリスマスには遊びに出かけてしまっている人もいたが、我々はその頃、
面接真っ只中であった。
ちなみにISEEの試験会場では、受験生の半分程度が娘の小学校のクラスメート
だったらしい。緊張をほぐす意味ではよかったかも。。


4)各中学校のオープンハウス、面接及び試験

各学校の印象というものは、インターネットで調べてもなかなかわからない。
そこで、多くの学校では実際の試験前にオープンハウス(学校案内)という
ものを開催して、受験生や親が、学校の雰囲気に触れる機会を設けてくれて
いる。
日本だったら、学園祭に行ってみるとか、学校説明会に参加するといった
ところだろうか。我々も行ける学校はすべて行ってみた。本当は出願書を
出す(出願料がかかる)前に学校の雰囲気を知りたかったのだが、願書を
出す前にオープンハウスをしている学校は少なかったため、願書を出して
からオープンハウスに行くことになった。

それにしても、やはり学校に行って直接先生や生徒の話しを聞き、教室を
見てみると、インターネットではわからない点、また各学校の特色がよく
分かる。
各学校では、まず、教育方針や授業内容を説明してくれた。また、アフター
スクール(部活)の紹介としてアカペラグループが歌を歌ってくれたり、
実際に先生が模擬授業をしてくれたりするところもあった。
授業の内容については、先生が説明してくれる学校も、生徒が説明して
くれるものもあった。先生が厳しそう、暖かそうな雰囲気、課外活動が
多そう、視聴覚の設備が充実している、等々学校毎の雰囲気もある程度
分かり、有意義だった。

インタビュー前にある程度学校のイメージを持つということは、面接前の
緊張感をほぐす意味では貴重だと思う。
全般的に言えば、どの学校も、勉強も当然だが、演劇、音楽、写真、スポーツ
などにとても力を入れており、生徒にいろいろな体験をさせてあげようという
意欲を感じることができた。我々親から見ても「自分がもし子供だったら
ここに行きたい、うらやましい!」・・と思わせる学校が多かった。


―――

インタビューの順番には気を使った。

アメリカの面接に慣れることが必要かなと思ったため、なるべく志望順位の
高い学校を後にし、(申し訳ないが)滑り止めに近い学校を前に持ってくる
ことにした。

実際、最初の数校程度のインタビューで、大体ペースがつかめてきた気が
してきた。大体は、まずその学校の生徒さんが学校の案内をしてくれて、
その後、子供の面接、最後に親面談という順番だった。
娘の面接では、娘が学校で学んでいることや、将来の夢、中学校でしたい
ことを話し、その後の親面談で、家庭での教育方針や、子供が話した内容の
フォローをする、といった感じであった。… もちろん例外もあるが…。

一校の面接では、「お子さんは学問的な面から、どのような点で向上する
必要があると思いますか」と聞かれ、「英語力です」・・と素直に答えて
しまったら、「どんな勉強をしていますか」「作文能力はどうですか」
「日本語と比較して英語はどうですか」などと、矢継ぎ早に質問攻め。
どんどんどつぼに入り込んでしまった。実は、この学校は子供の学問レベル
について具体的に聞かれた唯一の学校であった。この学校の学問レベルが
とても高いのは分かっていたものの、ここのインタビューは厳しかった。

面接だけではなく、一日体験授業をするところもあった。ある学校は娘の
土曜日の補習校の借用校でもあったため、ある程度勝手が分かっている学校
であった。しかも補習校の同級生が体験クラスに居たらしい。
そのお陰で友達がすぐにでき、とても楽しかったと大興奮して戻ってきた。
この学校は、朝礼で毎朝10分間の黙祷時間がある。
今の忙しい時代にとても大切なことを教えてくれる学校と思った。

年明けにも、数校で面接があった。ブロンクスにある学校もあった。
これらの学校はキャンパスが非常に広々としており、大学といってもいい
ような施設であった。
面接日の天気も良かった為か、非常に印象がよかった。

でも最後に行った学校の面接(すなわち優先順位の高い学校)では、
面接の最後に「今年の入学枠は全部で10名なので、祈っていてください・・」
と言われた。ううむ。これはなかなか厳しそうである…。


――――

この時点で1月10日。
最後の面接で思い出した我々も相当間抜けであるが、各学校には入学定員が
あるのだった。
そういえば、何人募集するのかどの学校も公表していない。
急に心配になってきたので、インターネットで各学校の5年生と6年生で
どの程度人数が増えるのか調べてみた。
うわ…、多くの学校で6年生になって生徒数がほとんど増えていない(汗)。
ということは入学できる生徒はほとんどいないということではないか。
…我が家に緊張感が走った。(今さら遅すぎ)。
確かにマンハッタンの中の学校はどこも非常に狭い空間を有効活用している
印象があり、これ以上生徒を増やせるのかな・・と思ったこともあった。
しかも各学校には、兄弟枠があるので、我々は兄弟枠以外の枠での競争
ということになる。これは厳しいぞ。

すべての面接が終わった後、ふと思い出した。
小学校の前校長(前述のA校長)との面談を年明けにする予定、と、
去年の夏にA校長自身が言っていた・・・。
早速、小学校に問い合わせをしたら、なんと、すでにその面談が終わって
いるとのこと。
12月に面談のお知らせメールを出している、と言われたが、こちらには
そのようなメールは届いていない。アドレスは2つ登録しているのに・・
我々は忘れ去られたか!それとも・・!? 
我々のメールの返事が来ない時点で何かおかしいと、別の方法でもいいので
こちらに確認してくれればいいのに、何故そのままにしておく!? 
小規模で極めの細かい教育をすることを売りにしている小学校なのに
大事な受験の一ステップをそのままにしておく、ということに少々、
いやかなりショックを受けた。

ともかくも、急遽A校長との電話面談をセットアップをしてもらったのだが、
A校長曰く、「ほとんどのマンハッタンの私立はわが学校から1名程度しか
とらないからなぁ。たとえば、○学校はどうでしょう。だめだったとしても、
また8年生になっても受験できますよ」と無責任なことをいわれたので、
「我々は、すでに小学校側に第一志望の学校をお伝えしています。いきなり
○と言われても困ります。」とはっきり言い切ってしまった。
でも「今からできることは何もありません・・」ということを言われ、
合格発表日まで、何もできずに待つだけになってしまった。


5)試験結果発表

試験結果については、ひとつの学校は、今年は募集人員なしということで、
年末時点ですでに×。
それ以外の学校は、2月6日に一斉に発表があるらしい。

2月6日、月曜日。起きてみたら、午前4時過ぎにメールが・・。
Wait Listとのこと。われわれの第一志望のひとつだったので一発目から
ちょっとへこんだ。

その後は私は会社だったのだが、何しろ仕事どころではない。
一日中メールをチェックしていた。
その日は、結局計4校から通知があった。
翌日火曜日。
この日は、メールはなし。どうなっているんだろうとかなり不安になったが、
昼間に、家に居る嫁から電話が・・。
家に郵便で手紙が来て、郊外の2校に合格したとのこと。
嫁によれば、合格かそうでないかは、封筒の大きさで一目でわかったらしい。
なるほど。確かにそうだよね。

第一志望の学校にも合格できていて、とてもほっとした。
娘も行きたかった学校に受かったので、嬉しそうだった。
不合格ばかりだったらどうしようと内心不安だったらしい。


6)Campus Visit

合格者が、最終的にどこの学校にするかを決める参考になるよう、多くの
学校で、再度学校を訪問する機会が設けられている。
Campus Visitと呼ばれているらしい。
合格者のみを対象に、半日程度実際に学校に行って授業を体験するのだ。
このCampus Visitにも学校の特色が出ていて、なかなか面白かった。

ある学校のCampus Visitは私も楽しかった。
親も含めて学校の授業をうけることができたからである。
この学校はとてもいい雰囲気で、親も自然に授業に溶け込めた。
授業に積極的に発言している親もいた。
学校の雰囲気をすべて知ってもらおうという意欲を強く感じることができた。

また別の学校のCampus Visitは、子供だけの参加だった。
しかしここでは体験先の授業の先生が居なかったり、先生から
「勉強をしたくない子供はこの学校に来ないでね・・」と言われたりと、
少しショックだったらしい。
ちょっと厳しい学校かも・・と、子供は少しへこんでいた。

体験授業がなく、質疑応答だけの学校ももちろんあった。



7)最終的に・・

NYの私立学校は、どの学校に行くにしても、今年は2月29日の昼までに
中学校に申込金と契約書が届くようにしなければならなかった。
この点、入学金を複数の学校に払い込む日本のシステムとは若干違う。
我々家族の中では、受験を体験しながら、マンハッタンの学校ではなく、
郊外の学校を考え始めていた。
幸いなことに郊外の学校には2校合格しており、最終的にはそのどちらが
良いかで最後まで迷った。

一つ目の学校はとても雰囲気が良い。キャンパスが広く、きれいで、先生も
生徒も皆フレンドリーである。先生が生徒から信頼されているのも良く
わかった。またすべての子供が様々な活動に親しむことができるよう配慮
されている点もポイントが高かった。子供も楽しんで学校に通えそうだったし、
またバスで通える点も大きかった。娘も学校の雰囲気が気に入っていた。

もう一つの学校は、どちらかといえば、アカデミックな雰囲気が漂い、また、
音楽活動などが盛んである。娘が英語を教わっている子、一緒にバイオリンを
習っている子など知り合いが居て安心できた。一方、先生・学校の雰囲気が
若干厳しそう、体育・音楽は、種類によっては初心者は対象外となるという
話を聞いた。また、授業料が高くスクールバスが使えない可能性があること
も懸念として残った。

最後の最後まで迷ったのだが、娘も含め、最終的には2つめの学校を選ぶこと
にした。決め手は、やはりアカデミックな意味で厳しいことから、娘も
いろいろ張り合いを持って、がんばれるのではないか、と思ったこと。
娘も現在の小学校ではかなり自信を持って通っていたことから、やはり
自分がやりがいを持って通えるところがいいなぁと考え始めたことが
大きかった。娘も「雰囲気のよい学校もいいけれど、厳しいかもしれない
けれどいろいろな勉強ができそうなところに 行きたい。」と言いはじめ、
親としても少しびっくりした。

契約書は、郵便で出してもいいのだが、何しろ決断を下したのが、締切日
(2月26日)の直前・・。
郵便だと間に合いそうもないので嫁が直接キャンパスまで出しにいった。
そのときの学校の反応は、すごくやさしくてよい感じだったらしい。
この学校が少し厳しい雰囲気なのでは…と思っていたので、少しほっとした。


わが小学校のクラスメイト…。
最終的には、ほとんどの生徒が第一志望に合格した。
実際は1月冒頭に行われた前校長との面談がすごく重要だったようだ。
どうも彼が両親から第一志望を聞いた後、各中学校の校長に連絡を取り、
ある程度の調整が行われたように感じている。
どうして我々のところはそういう面談がなかったのかはいまだにわからない
し、複雑な感情が残っていることは否定できない。最終的に合格できたもの
の、何が自分の娘のポイントだったかは結局良く分からない。
小学校で娘の成績を好意的に書いてくれたのかもしれないし、中学校の
教育方針と我が家の教育方針がうまく一致していたのかもしれない。
また、子供が続けているバイオリンが評価されたのかもしれないし、
娘の面接が子供らしく面接官から評価された可能性もある。
逆に、結局ISEEとかERBといった試験、あるいは学校毎に行われた
試験もどの程度反映されたのか結局全くわからなかった。
ともかく、我々としては、まぁ第一志望の学校に合格したので、よしとしよう
と思っている。
といっても、クラスメートの中では、数名、第一志望に合格できなかった人も
いた。最後の最後まで第一志望の学校からの補欠入学通知に希望を託していた
ようだが、どうもだめだったようだ。
2月26日の夜(合否発表後しばらくして)、子供と親に会う機会があった
のだが、子供はストレスから解放された晴れ晴れとした顔をしていたが、
父親のほうはあまりまだ納得ができていないような顔をしていたのが印象に
残った。やはりマンハッタンの受験事情・・厳しいものがある。

さて、娘の中学校生活・・9月から開始することになる。
日本の小学校とどのように違うのか、今から話しを聞くのが楽しみである。
いろいろな体験をしてほしいと思っている。


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